腰椎ヘルニア闘病記~決意編~
坐骨神経痛がひどくてとても動けなかったこの頃、身体だけでなくて金銭面がかなり辛くなってきていた。
日当いくらの警備員だ。有給があるわけでもなく休職制度があるわけでもない。働けなければ、当然金は入ってこない。
加えて連日のカイロプラクティックや整骨院通い。手持ちの金も底をついてきた。
そんな私の脳裏には、働けずに寮の一室で息絶えた同僚の警備員が浮かんでいた。
私の班にも来たことのある彼は、仕事ができない警備員だった。彼を呼んでくれる警備班はなくなり、行ける仕事がなくなってしまった。
彼は寮の部屋にたてこもったあげく、亡くなった。
自分もこのままではヤバい。
これは他人事ではない。
なんとかしなくてはいけない。
私にはもうこれしか手がない。実家に面倒をかけることにはなるが、仕方がない。
私は一時帰省することを決意した。実家に連絡すると、
「わかったよ。帰っておいで」
と母親は温かく声をかけてくれた。そしてこう続けた。
「でもアンタ、大丈夫?その状態で帰ってこれるの?」
全くその通りだ。近所のコンビニにやっと行けるようなこの状態で、実家まで帰れる自信はなかった。それでも帰るしか手はない。はってでも帰るしかないんだ。
* * * *
帰省当日の朝、痛み止めをしっかり呑み、コルセットをカチカチに締めて出発した。
荷物は最小限のショルダーバッグひとつ。重い荷物はとてもじゃないが持って歩けない。
決死の覚悟での出発だったが、手ごたえは悪くない。近くのバス停でバスを待ちながら今日の具合のよさを感じていた。
普段ならバスになど乗らずに歩いて駅まで行くのだが、たったバス停二つ分の距離でも温存しなくてはならない。いつ強い痛みがくるかはわからないんだ。たとえ強い痛みが出ても、新幹線に乗ってしまえば家までなんとかたどりつくだろう。
それまでに強い痛みが出たら?進むのか?戻るのか?
そんなことを考えながら、私はバスに乗りこんだ。
(つづく)
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