腰椎ヘルニア闘病記~苦闘編~
坐骨神経痛がひどくて仕事を休み始めたこのころ、実は腰椎ヘルニアが原因だってことはまだわかっていなかった。坐骨神経痛が出始めた3月頃に行った整形外科では、診断の結果「ヘルニアではなさそう」と言われていたからだ。
同僚の「やっさん」は坐骨神経痛から2週間で復帰してきた。ヘルニアでもないことだし、自分もそのくらいで復帰できるんじゃないだろうか?この頃はそう思っていた。
整形外科にいけば痛み止めはもらえる。でも、痛み止めもよく効かない今、自分はなんとかこの病気を治さなきゃならない。そう考えていろんなところに通った。
カイロプラクティック、整骨院、鍼灸、整体。
痛む体を引きずり、何度も路上で休憩しながら通ったが、快方に向かっている実感はない。とはいえ施術を受けたそのときは少しよくなる。でもまたすぐ元に戻ってしまう。
元にもどるぐらいならいい方で、鍼をうったときには翌日痛みが増してしまった。後から聞いた話では、痛みが本当にひどいときには鍼はうたないほうがいいんだとか。
いろいろとかじってみるような方法では、時にはひどい目にあうこともある。
* * * *
腰椎ヘルニアをどうにかすることも大変だったが、このころは日常生活の些細なことがとても難しかった。
洗濯機を回しても、洗濯物を干すのが重労働だった。洗濯物を干すのに途中で休憩が必要になるとは想定外だ。ずっと立って干していられない。ときおりしゃがんで休憩しながらの作業だ。
買い物に行くにも、一番近いコンビニに何度も休憩しながら往復するのが精いっぱい。他のお店はとてもじゃないが行って帰ってこれる気が全くしない。
ある日買い物の帰りに路上でへたばっていると、近所の奥さんに「大丈夫?」声をかけられた。
「大丈夫です。休めば何とか歩けますから」
「本当に大丈夫?」
こんなやりとりを何度か繰り返した。
買い物袋をわきに置き、路上で足を投げ出して苦痛に顔をしかめている様は、ハタから見たらとてもじゃないが「休憩」と呼べるものではなかったのだろう。
今の自分を周りから見るとそんなにもひどく見えるのか。私は改めて自分の状態の悪さを認識していた。
こんな出来事もあって、私は痛む足腰を抱えてのひとり暮らしに限界を感じ始めていた。
(つづく)
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