腰椎ヘルニア闘病記~帰省編~
これは奇跡だ。私は母親の待つ実家に帰ってくることができたんだ。
近所のコンビニに行くのも決死の覚悟で出かけなくてはならなかったのに、遠く離れた実家まで帰ってこれるなんて、実は想像できていなかった。
近所での買い物の途中で、何度も痛々しく道路に体を投げ出さなければ往復できない。実は座ることすら困難で、食事する間すら座っていることができない。できるのは寝ていることだけだった。
そんな状態でバスや電車を乗り継ぎ、長時間座って移動し帰省するなんてことは、暴挙に近い。
でも、私にはそれしか生きる道がない。そう思えば奇跡だって起きるんだと、私ははじめて知った。
道中では多少の痛みは出たものの、座っていられない、立っていられない、歩けないほどの痛みはなぜか影をひそめていた。乗り継ぎでは歩いて移動し、バスや電車、新幹線ではずっと座っていた。本当に信じられない。この状況は何なんだと、移動中ずっと思っていた。
なんとか地元の駅にたどりつき改札を抜けると、めずらしく母親が迎えに来ていた。
普段は「勝手に帰っておいで」とばかりに迎えになどこないのだが、電話で今の状態を伝えていたので私を案じて来てくれたのだろう。
「あんた、大丈夫?」
ゆっくりと歩み寄る私へ、母親の第一声だった。
「うん、なぜか今日だけは具合がよくてね」
「裏に車がとめてあるから」
二言三言言葉を交わしながら、ゆっくり歩いて車へ向かった。
母親がハンドルを握り車を走らせると、見えるのは見慣れた地元の景色。なつかしい街の風景を見ると、地元に帰ってきた実感がわく。
(それにしても、よく帰ってこれたなあ)
車の助手席から流れる夜の街を見ながら、やりとげた充実感とともに胸をなでおろしていた。
でも、具合がよかったのは本当にこの日だけで、翌日からはまた苦闘の日々が待ち受けていた。
(つづく)
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明けましておめでとうございます
皆様、明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろとありました。今ブログで書いてますがw
今年は無事に勤め上げたいものです。
本年も微力ではありますが、少しでも同じ警備員の人たちのお役に立てれば幸いです。
本年もよろしくお願い申し上げますm(_ _)m
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腰椎ヘルニア闘病記~決意編~
坐骨神経痛がひどくてとても動けなかったこの頃、身体だけでなくて金銭面がかなり辛くなってきていた。
日当いくらの警備員だ。有給があるわけでもなく休職制度があるわけでもない。働けなければ、当然金は入ってこない。
加えて連日のカイロプラクティックや整骨院通い。手持ちの金も底をついてきた。
そんな私の脳裏には、働けずに寮の一室で息絶えた同僚の警備員が浮かんでいた。
私の班にも来たことのある彼は、仕事ができない警備員だった。彼を呼んでくれる警備班はなくなり、行ける仕事がなくなってしまった。
彼は寮の部屋にたてこもったあげく、亡くなった。
自分もこのままではヤバい。
これは他人事ではない。
なんとかしなくてはいけない。
私にはもうこれしか手がない。実家に面倒をかけることにはなるが、仕方がない。
私は一時帰省することを決意した。実家に連絡すると、
「わかったよ。帰っておいで」
と母親は温かく声をかけてくれた。そしてこう続けた。
「でもアンタ、大丈夫?その状態で帰ってこれるの?」
全くその通りだ。近所のコンビニにやっと行けるようなこの状態で、実家まで帰れる自信はなかった。それでも帰るしか手はない。はってでも帰るしかないんだ。
* * * *
帰省当日の朝、痛み止めをしっかり呑み、コルセットをカチカチに締めて出発した。
荷物は最小限のショルダーバッグひとつ。重い荷物はとてもじゃないが持って歩けない。
決死の覚悟での出発だったが、手ごたえは悪くない。近くのバス停でバスを待ちながら今日の具合のよさを感じていた。
普段ならバスになど乗らずに歩いて駅まで行くのだが、たったバス停二つ分の距離でも温存しなくてはならない。いつ強い痛みがくるかはわからないんだ。たとえ強い痛みが出ても、新幹線に乗ってしまえば家までなんとかたどりつくだろう。
それまでに強い痛みが出たら?進むのか?戻るのか?
そんなことを考えながら、私はバスに乗りこんだ。
(つづく)
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腰椎ヘルニア闘病記~苦闘編~
坐骨神経痛がひどくて仕事を休み始めたこのころ、実は腰椎ヘルニアが原因だってことはまだわかっていなかった。坐骨神経痛が出始めた3月頃に行った整形外科では、診断の結果「ヘルニアではなさそう」と言われていたからだ。
同僚の「やっさん」は坐骨神経痛から2週間で復帰してきた。ヘルニアでもないことだし、自分もそのくらいで復帰できるんじゃないだろうか?この頃はそう思っていた。
整形外科にいけば痛み止めはもらえる。でも、痛み止めもよく効かない今、自分はなんとかこの病気を治さなきゃならない。そう考えていろんなところに通った。
カイロプラクティック、整骨院、鍼灸、整体。
痛む体を引きずり、何度も路上で休憩しながら通ったが、快方に向かっている実感はない。とはいえ施術を受けたそのときは少しよくなる。でもまたすぐ元に戻ってしまう。
元にもどるぐらいならいい方で、鍼をうったときには翌日痛みが増してしまった。後から聞いた話では、痛みが本当にひどいときには鍼はうたないほうがいいんだとか。
いろいろとかじってみるような方法では、時にはひどい目にあうこともある。
* * * *
腰椎ヘルニアをどうにかすることも大変だったが、このころは日常生活の些細なことがとても難しかった。
洗濯機を回しても、洗濯物を干すのが重労働だった。洗濯物を干すのに途中で休憩が必要になるとは想定外だ。ずっと立って干していられない。ときおりしゃがんで休憩しながらの作業だ。
買い物に行くにも、一番近いコンビニに何度も休憩しながら往復するのが精いっぱい。他のお店はとてもじゃないが行って帰ってこれる気が全くしない。
ある日買い物の帰りに路上でへたばっていると、近所の奥さんに「大丈夫?」声をかけられた。
「大丈夫です。休めば何とか歩けますから」
「本当に大丈夫?」
こんなやりとりを何度か繰り返した。
買い物袋をわきに置き、路上で足を投げ出して苦痛に顔をしかめている様は、ハタから見たらとてもじゃないが「休憩」と呼べるものではなかったのだろう。
今の自分を周りから見るとそんなにもひどく見えるのか。私は改めて自分の状態の悪さを認識していた。
こんな出来事もあって、私は痛む足腰を抱えてのひとり暮らしに限界を感じ始めていた。
(つづく)
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腰椎ヘルニア闘病記~序章~
久しくブログをお休みしていたのだが、それには理由がある。
一番大きな理由は「腰椎ヘルニア」で長らく療養していたからだ。
痛みが出始めたのは今年の3月ごろ。このころは右の腰からおしり・足にかけて痛みが出始めた。歩けないというほどではなくて、仕事も普通にしていたし鎮痛剤もさほど必要ではない。自分のガマンの範疇内で収まっていた。
これが6月に入るとそうはいかなくなってきた。
月初めくらいから痛みがだんだんと強くなってきて、朝に家を出て駅に行くのがやっとの状態になってしまった。家から普通に歩いて12分くらいの最寄り駅に着くまでに5回も6回も休憩が必要で、痛む体をなんとか自力で駅まで運ぶ作業は精神的にとてもつらい。
不思議なんだけれど、そんな状態でも鎮痛剤を飲み、駅まで強い痛みを引きずってなんとか歩く。その後ホームで少しストレッチをして電車に乗ると、目的地に着くころにはアタリが出て普通に歩ける状態になる。
鎮痛剤が効くからなのか、体が温まるからなのかは定かではないが、しばらくはそんな状態でなんとか勤務を続けていた。
けれども、そんな状態ではすぐに限界がやってくる。分かっていたことだが、ついにその日がやってきてしまった。
その日も同様にして家を出たのだが、現場の最寄り駅についてもまったく「アタリ」がこない。痛みはひくどころか、ひどくなっている気すらする。
痛みからくる私の精神的な限界でもあり、おそらく身体的な限界でもあっただろう。私はコンビニのイートインにどうにか自分の身体をおき、管制に欠勤の電話をかけた。
「そんなこと急に言われても、すぐに代わりは見つけられませんよ~」
管制の担当は困ったような怒ったような声でそう答えたが、無理なものは無理だ。
「申し訳ありません。とにかく、今日は無理なので休みます」
そう言い切って電話を切ると、言いようのない不安が襲ってきた。
「今までなんとか仕事をしてきたけど、これからオレはどうなっちまうんだ?」
このとき私にはもう分かっていた。何日か休めばなんとかなるような身体ではないと。
(つづく)
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流行り病
ちかごろ、私の周りで流行っている病気がある。
それは坐骨神経痛。警備員によくある症状だ。私の周りにも症状が出ている隊員、それが原因で仕事を休む隊員がすごく多くなってきている。
私もどういうわけか、この流行に乗ってしまった。
最初は弱い痛みから始まり、多少のガマンでなんとかなっていたが、次第に鎮痛剤に手を出すようになり、ついには強い痛みが出て100mぐらい歩いたら休憩しないとその先歩けないくらいにまでなってしまった。
現場でも強い痛みが出て他の隊員に迷惑をかけてしまい、実はここ1週間ほど休みが続いている。
私は基本的に体が強くはなくて、いろんな病気で仕事を休むことがある。ただ、今回の「坐骨神経痛」はやっかいきわまりない。「こうすれば治る」という方法が決まっているわけでもなく、「だいたいこのくらいで治る」というメドもつかない。
日当いくらで仕事をしている私たちとしては、こういう流行には乗りたくないものだ。
* * * *
同僚のやっさんはこの流行に乗っちまった。坐骨神経痛で二週間ほど休み、先日仕事に復帰したばかりだ。私は歩いてくるやっさんを観察したが、歩き方も以前となんら変わりはない。しっかりとした足取りでいつもどおりにやってきた。どうやら痛みはほとんどないようだ。
私は流行に乗り始めたころで、なんとか鎮痛剤の力を借りて仕事をしていた。そして私の興味は
「やっさんがどうやって坐骨神経痛を治したか」
にあった。私は喫煙所で「わかば」をふかしているやっさんに近づき、胸ポケットから一本抜いて火をつけて話しかけた。
「やっさん、具合どうなんすか?」
「んん、まあ、まあまあだな。痛みもねえしよ」
「どうやって治したんすか?」
「んー、オレの場合は…効いたのは風呂と、整骨院の電気だな」
「風呂と電気ですか…」
「一日二回風呂入って温めてな。ハリはいまひとつだったなあ。電気が効いたよ。うん」
「そうですかあ。ありがとうございます。参考にします」
この会話のあと坐骨神経痛がひどくなったオレは、やっさんの治療法を参考にすることにした。
* * * *
私が治療に選んだのは、やっさんが行った鍼灸院でもなければ整骨院でもない。カイロプラクティックだった。歩行に支障をきたしていたため、自宅に近いカイロプラクティックを選んだ。
「お風呂とかは長いですか?」
カイロプラクティックの先生は私にこう聞いてきた。
「いや、そうでもないです」
「炎症が強いですから、今は長風呂であまり温めないほうがいいです。歩いたりして痛くなったら氷で10分ぐらいきっちり冷やしてください」
(やはりそうか…)
坐骨神経痛の治療というのは、その人に合ったからといって別の人にも合うとは限らない。信頼のおけるところで見てもらって指示してもらうのがいい。そういうものだ。
実は私はやっさんの話を聞いて、やっさんの逆を行くことにしたのだ。やっさんが行ったような整骨院でも鍼灸でもなくて、カイロプラクティックへ。温めるのか冷やすのかという問題もどうやら逆が正解だったようだ。
「抜け目のやっさん」。これが競馬好きのやっさんのニックネームだ、。やっさんの競馬は、買い目を外した目がいつもくる。わざと外してるんじゃないかと思うくらい、外した目が来る。
とりあえず、やっさんの買い目は外すのがセオリーなんだよな。
ただ、私の買い目が当たるかどうかは、この後の経過次第だ。
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ジュリアナ東京
同じ警備班の元木さんが朝一番の後進誘導のため、手旗を持って工事車両の後方に立った。元木さんはベテラン警備員で、後進の指導も熱心にやってくれるとてもありがたい方だ。ドライバーさんがバックにギアを入れると、同時に「ピーッ、ピーッ」というバックブザー音が鳴り響いた。
「はい、オーライ!」元木さんの後進誘導が始まったその時だ。
わが警備班のエースであり、お調子者の滝田くんがちょっかいを出しはじめた。
「ジュリアナー!トウキョー!」
滝田くんは周りの警備員に聞こえるようにかん高い声を上げた。周りの警備員はみんな笑っていた。そう、元木さんの後進誘導時の旗の振り方が「ジュリアナ東京」のお立ち台にいるボディコンギャルのセンスの振り方にそっくりなのだ。
↓↓ジュリアナ東京といえば「荒木師匠」の「センス振り」をご確認ください↓↓
よく言われていることだが、手旗のうまい振り方は旗をからませないようにするため「8の字」で振ることだ。だが、本当に8の字で振ってしまうと動画の「荒木師匠」になってしまう。
荒木師匠の動画でノーマルな「8の字」振りを確認するとわかるが、実は体の前で手首を使って小手先で振ると「荒木師匠」になる。
警備員はそうではなくて、手をまっすぐに伸ばして大きく振るのが基本だ。手首を返すのは旗の振り出しと戻しの時でいい。そうすると旗がからまずに振ることができる。
絵で説明すると、
これは進行の合図だが、手首を返すのはまさに画像の状態のとき。この二つのタイミングでスナップを返せば手旗がからまない。いい振り方だと言われている「8の字」にこだわる必要はなくて、要は手旗がからまなければそれでいいはずだ。
8の字にこだわると、たいていの警備員は「荒木師匠」になっちまうんだよ。
* * * *
「じゃ、オレもいってきまーす」
滝田くんが手旗を持って工事車両の後進誘導に出て行った。元木さんをさんざんひやかしていた滝田くんだが、実は滝田くんの旗の振り方も元木さんゆずりの「荒木師匠振り」だ。もともと滝田くんの師匠は元木さんで、技術面は元木さんに教わったところが多い。
「オーライ!オーライ!」
滝田くんはノリノリで、今日も独特のよく通る声で誘導していた。でも、ちょっと悪乗りしすぎて少しクネクネと腰を使っていた。
滝田くん、そこまで荒木師匠に似せなくていいって。君の師匠は元木さんだろ?
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